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善光寺

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観光案内

善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野にある無宗派の単立寺院。東日本で最も人気の高い寺院の一つで、644年に皇極天皇の勅願によって創建された。日本における仏教が諸宗派に分かれる以前から存在する寺院で宗派を越えた霊場と位置づけされている。また、伝統仏教にしては珍しく、女性の救済も行っていた寺院である。本堂は国宝に指定されていて、日本でも随一の巨大さを誇る大本堂である。又、山門も壮大な造りで、1750年に造られた巨大な建築物である。古来より信仰篤く、江戸時代には本尊のご開帳には江戸より多くの参拝者が訪れた。現在も多くの参拝者で賑わう。

観光情報
駐車場 【有】
トイレ 【有】

拝観料:無料
参拝時間:終日

本堂内陣資料館等の入場料500円。

アクセス
長野駅よりバスで善光寺前まで。


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詳細案内

善光寺

宗派:無宗派の単立寺院
開基:皇極天皇
創建:644年
正式名称:定額山 善光寺

善光寺は、一光三尊阿弥陀如来を御本尊として、644年に創建された東日本を代表する古刹である。一光三尊阿弥陀如来は、552年インドから始めて朝鮮半島を渡って日本に伝えられた日本最古の仏像と言われている。この仏像は、当時議論となった仏教を受け入れるかどうかの国論が割れている際、廃仏派の物部氏によって、1度難波の堀江に破棄された。後、信濃国司の従者として上京していた本田善光が信濃へ本尊を遷し現在の長野県飯田市に祀った。その後、642年に現在の位置に遷座し、644年に勅願によって伽藍が造営され、本田善光の名から「善光寺」と名付けられた。

一光三尊阿弥陀如来像は、絶対秘仏とされ、本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に安置されている。その姿は、善光寺の住職ですら目にすることは出来ない。ご開帳では前立本尊が代わりに公開される。

無宗派であるが、山内には天台宗の「大勧進」と浄土宗の「大本願」によって護持・運営されている。大勧進の住職は「貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が勤め、また大本願は尼寺である。住職は「善光寺上人」と呼ばれ、代々公家出身者から住職を迎え入れている。

戦国時代に入ると、善光寺平では武田信玄上杉謙信が信濃の覇権を巡って激しく対立し、川中島の合戦の際、1555年に武田信玄は本尊や多くの寺宝、僧侶に到るまで丸ごと善光寺を甲府に移す。その後、武田家は織田信長によって滅ぼされると、本尊は織田家、徳川家の祀るところとなり、最終的に豊臣秀吉が京都・方広寺に安置される。そして、秀吉臨終の直前に秀吉の枕元に如来が立ち、信濃の地に戻りたい旨を伝え、四十数年ぶりに善光寺に戻って再び安置されることになる。

戦国時代荒廃した善光寺であるが、徳川家康によって戦国の寺領が寄進され、善光寺詣りも天下泰平の世で流行し多くの人々が参詣してきた。特に、江戸時代はご開帳が有名となり、善光寺詣りは一生に1度はと言われるようになる。

現在でも毎年600万人の参拝者が訪れる、長野を代表する名刹である。

本堂 国宝
現在の本堂は1704年に再建された、江戸中期を代表する仏教建築であり、国宝に指定されている。間口24m、奥行き54m、高さ26mと国内有数の木造建築物である。

山門(三門) 重要文化財
1750年に建立された、二層入母屋造りの門。

仁王門
1918年に再建された門。

石畳
境内入り口から三門までの長さ400mの参道の石畳は、1714年に造られた。7777枚あると伝えられている。本堂から三門にかけての石畳は1713年に造られている。

ぬれ仏(延命地蔵)
1722年に造立した延命地蔵。善光寺聖・法誉円信が全国から集めた喜捨によって造立された。

梵鐘
梵鐘は1667年に造られた。鐘楼は、1853年の再建である。その音は日本の音100選の一つに選ばれている。

オフィシャルホームページ http://www.zenkoji.jp/