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山中城

観光案内

山中城(やまなかじょう)は、静岡県三島にある山城。1560年に小田原を守る支城として北条氏によって築城された。1590年の豊臣秀吉の小田原城攻めでも戦いの舞台となる。遺構では、堀や土塁、曲輪が良好な状態で保存されていて、山城の堅固さが今も垣間見ることが出来る。戦国時代の山城の遺構を良く残す城跡で、国の史跡にも指定されている、見事な山城である。

観光情報
駐車場【有】
トイレ【有】
駐車場は夕方に閉鎖されるので注意。

料金:無料
入場時間:終日

アクセス
三島駅よりバスで山中城まで。


特集

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周囲の地図情報 山中城

詳細案内

山中城

天守:無し
城郭の種類:山城
天守構造:無し
築城年:1560年
築城主:北条氏康

山中城は、小田原を守るために北条氏康によって築城された山城である。東海道を分断するように築城されており、関所のように小田原の守りを固めていた。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐において、秀吉の7万の大軍勢に囲まれてしまう。守将である北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら4千は奮戦するも、わずか半日で落城してしまう。その後、秀吉が石垣山に城に築城するまで、拠点の一つとなる。小田原城落城後は廃城となる。その後、遺構は利用されなかった為に、そのままの状態で保存され現在も戦国時代の山城の様子を良好な状態で残す。

日本100名城の一つに選ばれている。

山中城は、小田原を守るために北条氏康によって築城された山城である。東海道を分断するように築城されており、関所のように小田原の守りを固めていた。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐において、秀吉の7万の大軍勢に囲まれてしまう。守将である北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら4千は奮戦するも、わずか半日で落城してしまう。その後、秀吉が石垣山に城に築城するまで、拠点の一つとなる。小田原城落城後は廃城となる。その後、遺構は利用されなかった為に、そのままの状態で保存され現在も戦国時代の山城の様子を良好な状態で残す。

日本100名城の一つに選ばれている。


本丸は、空堀によって区切られ土塁の橋でつながれている。二の丸は平らに整備されている。天守台の後もあるが、天守があったかは不明。標高は586mにある。

西の丸は最も大きな曲輪で、三島の町を一望出来る。また、C型の小型の曲輪で三方を囲まれ水堀で仕切られていた。堀の水は貯水池から引いていたと見られる。

岱崎出丸は、秀吉対策として急遽増築されたと見られる。空堀や土塁など北条氏に夜築城技術が見られる。

(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)