天守:非現存
城郭の種類:平城
天守構造:不明
築城年:1519年
築城主:武田信虎
躑躅ヶ崎館は、戦国時代甲斐国の統一を果たした、武田信虎が有力な国人を自分の本拠地の周りに住ませ、その中心に築いた平城である。築城は1519年。堀や石垣、土塁などで構成された城であるが、城郭としては小さく、政庁の要素が強い。すぐ裏にある、要害山城が有事の際の詰め城として使われていた。国人を自分の周りに住まわせて城下町を形成したのは当時としては珍しい。
武田信虎の嫡男・武田信玄は、父・父信虎を駿河に追放し家督を相続すると、信濃、駿河、上野、遠江、三河、飛騨と勢力を拡大していくが、彼の本拠地は常にこの城であった。
信玄の息子、勝頼が亡き信玄の後、躑躅ヶ崎館に居住するが、1575年に長篠の戦で敗れた後、信長の攻勢に防御の弱い躑躅ヶ崎館に不安を感じた勝頼は新府に新たに築城し躑躅ヶ崎館は破棄される。
その後、甲府城が築城された為に、完全に廃城となる。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)