二子山古墳は、墳丘長108メートル、後円部径74メートル、高さ10メートル、墳丘部が三段築成で、前方部幅71メートル、高さ7メートル。南東1kmにある豪族居館を拠点として、榛名山麓の井ノ川流域を統治した豪族の墓である。保渡田古墳群で最初に築かれたことがこの地に進出し、山麓水源地帯を押さえて大規模な農業経営を行った人物が埋葬されていると考えられる。当時の群馬県地域は、わが国のなかでも優勢な地域のひとつであった。二子山古墳の被葬者は、その上毛野を代表する人物であり、大和王権にも関係していたと考えられる。
八幡塚古墳
墳丘長102メートル、後円部径56メートル、高さ現存約6メートル、前方部幅53メートル。高さは削平されて分からない。周濠は馬蹄形で二重に取り巻き、さらに外側を幅の狭い外周溝が巡る。内濠部のくびれ部と後円部後側に4基の中島が配置されている。墳丘には葺き石が葺かれ、円筒列が墳丘裾部、中島裾部、中堤縁に見られる。
薬師塚古墳
墳丘部が西光寺の堂宇や墓地のため、多くが削り取られている。