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福井城

観光案内

福井城(ふくいじょう)は、福井県福井市にある平城。戦国時代、織田信長の家臣柴田勝家が、越前国北ノ庄を与えられ築城した城を、後年、徳川家康の次男結城秀康が改修した城である。現在、本丸跡を初め、堀、石垣、天守台などが遺構として残る。本丸跡は福井県庁などがおかれているが、本丸を囲う石垣と堀は当時の遺構そのままである。北ノ庄より、福井の名前に変更した起源とされる井戸がある。

観光情報
駐車場【無】
トイレ【有】

料金:無料
入場時間:終日

アクセス
福井駅より徒歩。


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周囲の地図情報 福井城

詳細案内

福井城

天守:非現存
城郭の種類:平城
天守構造:4重5階 望楼型
築城年:1575年
築城主:柴田勝家

福井城は、織田信長の家臣、北陸方面軍団長の柴田勝家によって築城された。1575年築城当時は、越前北ノ庄に築城された為に北ノ庄城と呼ばれていた。越前朝倉氏を滅ぼし、一向一揆を平定した勝家は、越前国北ノ庄を信長から与えら、自らが縄張りを決めたとされる。しかし、1583年に賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉との対決で破れ、この城で妻お市と共に自害する。

1600年に徳川家康の次男・結城秀康が68万石で入封されると、1601年に築城を開始する。松平姓を名乗ることを許された秀康は、6年かけて徳川一門の居城に相応しい城を完成させる。天守は4重5階の壮麗な天守が建てられたが、1669年に焼失しその後は再建されなかった。

現在、本丸跡とそれを取り囲む、堀、石垣の他、天守台などが遺構として良好な状態で残る。

北ノ庄は敗北の一字が含まれている為縁起が悪いとの事で城内の井戸福居からとって城名を福井城となったと伝えられる。

福井の城下町
秀康は徳川家康の次男として1574年に生まれ、越前藩の大名となる。弟の秀忠は2代目徳川将軍となる。秀康は1584年に人質として豊臣秀吉の養子となる。その後、関東の名門結城家の養子となり、後を継いで結城秀康となる。

その後、北の加賀藩前田家の押さえとして、68万石で越前藩へ移封となる。1607年、秀康は34歳の若さで病没するが、越前松平氏は徳川家の一門として幕府の制御を受けない特別な藩として明治維新まで存続する。

(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)