創建:平安時代初期
例祭:9月敬老の日前の土日
御由緒
鶴谷八幡宮は平安朝の初期、約1000年程前、安房国の総社として国府の地に創建された。
後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き諸国に守護地頭を置くに及んで国司の権勢が次第に衰え、従って総社の崇敬も衰微するようになった。一方、源氏は八幡大神を氏神として崇敬したので、総社の祭神の中の八幡大神が特に崇敬されるようになり、逐には総社が改変されて八幡宮となり、鎮座地も現在の処に移されたと伝えられている。
いい伝えによれば源頼朝は安房国より再起する折、当社に詣で武運長久祈念したと言われている。又神社の旧記に、建保年間、将軍源実朝が社殿を造営奉納したことが記されている。その後里見氏の時代に至り、鎌倉管領古河公方及び里見家累代の厚い崇敬をうけた。里見家より一七一石の社領の寄進をうけていたことも、その一端を示すものである。又、永正五年に里見家第三代領主義通が社殿を再建したのを始め、義豊、義尭、義弘、義頼、義康等が代々社殿を修理奉納している。徳川幕府も里見氏のあとをうけ、同じく一七一石の社領を寄進している。