種類:史跡公園
1994年に建設。
伝説によると、徐福は、中国を統一した秦の始皇帝に仕え、その命により、東方海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めて三千人の童男童女を引き連れ、この熊野に渡来したと伝えられています。徐福一行は、この地に自生する「天台烏薬」という薬木を発見しましたが、気候温暖、風光明媚、更には土地の人々の暖かい友情に触れ、ついにこの地を永住の地と定め、土地を拓き、農耕、漁法、捕鯨、紙すき等の技術をこの地に伝えたと言われています。徐福の渡海は、中国の有名な歴史書である『史記』にも記されています。
徐福の墓は藩祖徳川頼宜が1736年に建立。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)