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備中松山城

観光案内

備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)は、岡山県高梁にある山城。戦国時代より現存する12天守の1つで唯一の山城である。海抜430mにあり現存天守で最も標高の高い天守で、日本三大山城の1つとされる。小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配された山城で、天守の他、2重櫓や土塁が遺構として残る。現在の天守は1600年に建築された物に、松山藩主水谷勝宗が1681年から83年にかけて増築した物である。本丸の櫓、門、塀が復元され、当時の城郭の様子を再現しており、国の史跡に指定されている。

観光情報
駐車場【有】
トイレ【有】

料金:大人300円、子供150円 団体割引有り
入場時間:9:00~17:30 (4~9), 9:00~16:30 (10~3)
年末年始閉鎖

アクセス
高梁駅から徒歩1時間。
駐車場からでも徒歩20分。坂が急である。


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周囲の地図情報 備中松山城

詳細案内

備中松山城

天守:現存天守
城郭の種類:山城
天守構造:2重2階 複合式望楼型
築城年:1240年
築城主:秋庭重信

標高430mの臥牛山山頂付近に建つ、現存天守の1つ。1240年に秋庭重信によって大松山に築かれた城が起源である。現在の遺構は1683年に水谷勝宗によって3年かけて修築された物である。山陽と山陰を結ぶ要所の1つとして戦国時代より激しく争奪戦が繰り広げられた城である。その為、歴代城主は変遷し続ける。切り立った岸壁の上にあり難攻不落の城としてその名を知られた。

戦国時代には、三村元親が城主となり、大規模な城郭へと増築する。しかし、元親は毛利氏から離反し織田信長に寝返ったが、小早川隆景によって討ち滅ぼされ、毛利氏の領有となる。

江戸時代に入ってからも城主は変わり続ける。1642年に水谷勝隆が入封。2代目勝宗が1681年から修築を行い現在の姿となる。

最終的には板倉氏が江戸時代の終わりまで城主として治めた。

現存する天守は、1600年に作られた物に、1681年に勝宗が造営したとされる。2層2階で、西面に半地下の附櫓がある複合式望楼型天守である。

(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)