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吉野

観光案内

吉野(よしの)は、奈良県中部にある日本有数の観光地であり、さまざまな歴史の出来事に登場する場所である。熊野古道の一部として世界遺産にも登録されている。吉野の中には多くの文化財や歴史的建造物、そして歴史に登場するさまざまな遺品が残る。源義経が兄頼朝から逃れ、静御前や弁慶と隠れた場所や、後醍醐天皇の南朝の皇居、豊臣秀吉の吉野の花見などさまざまな歴史の分岐点が見られる。日本を代表する歴史を備えた観光地である。

観光情報
駐車場【有】
トイレ【有」

アクセス
近鉄吉野線吉野駅からロープウェイで吉野へ。


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詳細案内

吉野
種類:世界遺産 熊野古道

鳥居
創立年代不詳。俗に聖武天皇の東大寺大仏建立の余韻をもって建立されたとの伝承がある。太平記などの文献に1348年の兵乱で焼亡したとの記述があり、その後再建されたものと考えられる。1706年の葛西で類焼し、真木を焼いたが1711年に再興された。銅製の鳥居としては現在最古のものである。高さ8.2m、幅7,4m。この鳥居は、俗界と浄域との結界であり、仏道修行を発心するところ、菩提心をおこすところとされる。修行者達は、ここで俗界を離れて修行を行う心を奮い立たせることになる。また、大峯山にある山上蔵王堂までの間にある発心門・修行門・等覚門・妙覚門と続く金峯山四門の第一門であり、宮島の木の鳥居、天王寺の意思の鳥居と並んで日本三鳥居の一つとされる。

大峯奥駈道は、日本独自の山岳宗教「修験道」の開祖・役行者が、7世紀に開いたと伝えられ、吉野と熊野という修験道の二大霊場を結ぶこの道は、修験道(山伏)にとってもっとも厳しい修行の道場とされる。すでに平安時代には熊野から吉野に至る大峯の通りに通じる奥駈道の随所に、霊地や行場あるいは宿が設けられており、120か所の宿があったとされる。その後に42宿に整理されたが、近世にいたって峯中の霊地、行場が75か所に整理され「大峯七十五靡」とよばれるようになった。靡とは役行者の法力に草木もなびくという意味がある。修験道に関わる神仏の出現地、あるいは居所とされる。熊野から吉野へと歩く行程を「願峯」、ぎゃくに吉野から熊野へと歩く行程を「逆峯」と言うが現代ではほとんど逆峯によって修行することが多い。また、近世以降に吉野から山上ヶ岳に参詣する山上詣りの風習が、一般庶民にまで広がるようになったことから、山上ヶ岳よりも更に奥に入って修行する事を「奥通り」と言うようになり、近年では、「奥駈」と呼んでいる。行程の順路や呼称が変わっても、大自然の中で心身の鍛錬を行う修験者が修行する祈りの道であることは、今も変わらない。

金峯山寺
創建年代不詳。寺伝によると7世紀に修験道の開祖役行者によって創建されたという。金峯山寺は平安時代からの修験道の隆盛により、天皇家をはじめ公家や武家からの厚い帰依を受け、数多い末葉寺院や広大な寺領を誇っていた。

この本堂は、山上ヶ岳頂上にある山上蔵王堂に対して山下蔵王堂と呼ばれ、修験道の霊場である吉野・大峯の中心的伽藍として信仰を集めた。文献上では1103年にそんざいしたことが確認されるが、現在の建物は1592年に再建されたものである。高さ33.9m、桁行25.8m、梁間27.3mの一重蓑階付入母屋造り檜皮葺の木造建築で、修験道の中心寺院として相応しい威容を誇っている。堂内には修験道の本尊である金剛蔵王権現の巨像三体や役行者などを安置している。堂内の柱は全部で68本あり、一本として同じ太さのものはなく、すべて自然木素材のままに使用している。柱の材質も様々で、杉、檜、檸などの他に梨やツツジの柱もあり一定しない。

この堂では、本尊に桜花を備えて人々の罪科を懺悔する「花供養法会」や神仏を侮ったために蛙の姿に変えられた男が懺悔して、僧侶の法力によって人間の姿に戻されたという伝説に基づいた「蓮華会蛙とび行事」などの伝統行事が、毎年盛大に行われている。

群芳園
群芳園は、奈良県吉野にある庭園。室町時代末期に造園された庭園であり、室町時代の面影を残しつつも、千利休などが手を加えて桃山風の庭園となっている。大和三庭園のひとつに数えられる見事な庭園である。

吉野水分神社
吉野水分神社は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。世界遺産にも登録されている神社で、桃山時代の力強い社殿は独特で重要文化財に登録されている。また、子宝に恵まれる神社でも知られる。

𠮷水神社
𠮷水神社は、奈良県吉野にある世界遺産にも登録されている神社。南北朝時代には仮皇宮が置かれた場所で、京より逃れてきた後醍醐天皇が御所として利用した神社である。また源義経が兄頼朝から逃げ隠れた時にも滞在した神社でもあり、また豊臣秀吉が吉野の花見を行った時にもここに滞在した。日本最古の書院造には、歴史上の人物が滞在した風情を残しており、また彼らの遺品の多くが展示されている。

金峯神社
金峯神社は、奈良県吉野の奥にある神社。かつては修験道の零場であり、現在も荘厳な雰囲気に包まれている。源義経が隠れたとされる義経隠塔がある。

如意輪寺
如意輪寺は905年日蔵上人の開基で、本尊は如意輪観世音菩薩。第97代後村上天皇の1346年に楠正行(正成の子)が四条瞼の決戦に向う時、如意輪寺本堂の扉に鏃をもって辞世の句を残したことは有名でその扉は宝物殿で拝観する事が出来る。
境内を少し上がると後醍醐天皇の陵があり、足利尊氏に都を追われた天皇に都を憧れつつ4年間吉野山で過ごしたが、ついに帰る事無く1339年に崩御された。