種類:木曾義仲 源義仲 博物館
義仲館は木曾義仲の生涯を分かりやすく紹介する博物館である。彼の挙兵は貴族社会の終焉と武家社会の幕開けとなった。
木曾源義仲は1154年源義賢の次男として武蔵国大蔵館で生まれ、幼名を駒王丸と呼ばれた。1155年に伯父義朝の長子義平に父義賢が攻滅ぼされた。義仲は木曽にのがれ、木曽中三櫂守・中原兼遠の養育を受けた。1180年に後白河法王第二皇子以仁王の平家追悼の令旨を奉じ挙兵し、1183年北陸に進撃した。義仲は倶利伽羅峠で牛の角に松明を付けて平家の大軍に追い込み撃滅させた。この年入京し、征夷大将軍に任ぜられたが、僅か5日後に鎌倉勢に破れ、粟津ヶ原で薄氷に馬がはまった所を討取られた。享年31歳。義仲の妻・巴御前は遺髪を持ち帰り、興禅寺に埋葬した。