佃島念仏踊りで知られる佃島盆踊りは江戸時代より続く伝統的な盆踊りである。佃島の猟師は徳川家康ともつながりがあり、幕府から漁業権が与えられるなど良好な関係が有ったと伝えられる。その為、佃島の念仏踊りは1831年の禁止令も生き残り現在江戸時代から続く唯一の東京の盆踊りとして知られる。
1657年の明暦の大火の際、西本願寺が消失してしまう。佃島の名主忠兵衛は、佃島に近い海際に埋立地を作りその場所へ移す為に奔走し幕府の許可を得て埋め立て工事を行った。佃島の住民一統が埋め立てに貢献し、完成した土地は築地と呼ばれるようになる。これが現在の築地本願寺である。築地本願寺の御堂も1680年に完成し、佃島の漁民は先祖の霊を祀る行事として、7月の孟蘭盆の頃に河岸の欄干場にちょうちんを連ねて、声自慢の若者が単調な太鼓の音につれ川風に美声を乗せて音頭をとりその周囲を老若男女が踊り明かして先祖の霊を慰めたと伝えられる。この踊りは築地本願寺を通じて江戸中で廻られるようになるが、1831年町奉行遠山左ヱ門尉の改革によって禁止された。しかし、ここ佃島では地元で踊る行事として江戸時代から脈々と受け継がれている。