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高天神城

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観光案内

高天神城(たかてんじんじょう)は、静岡県掛川にある山城。室町時代に今川氏によって築城された。
遠江と駿河の国境にある要所で、武田氏、徳川氏、今川氏の間で多くの争いが行われた。特に、今川氏滅亡の後、徳川家康の東の最前線として活躍した堅固な城塞である。山頂からは遠州の景色が一望出来る。山頂への道のりは急峻な崖に挟まれた山城で、戦国時代の城塞の様子を今も伝える。国の史跡に指定されている。

観光情報
駐車場【有】
トイレ【有】

料金:無料
入場時間:終日

アクセス
JR東海道線掛川駅からバスで高天神城まで。

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周囲の地図情報 高天神城

詳細案内

天守:無し
城郭の種類:山城
天守構造:無し
築城年:16世紀
築城主:不明

高天神城は、標高132mの山頂に築かれた堅固な城。四方を急峻な崖に囲まれ、曲輪が機能的に配置されている。


1569年までは、駿河の今川氏の支配下にあったが、桶狭間の戦いで今川義元が討たれたあとは、城主小笠原氏が徳川家康に寝返り、以来家康の勢力下に置かれる。その後も、家康の浜松城を武田氏から守る重要な軍事拠点として活躍する。

1571年、武田信玄が2万5千の大軍を率いて高天神城を包囲するが攻め落とすことは出来なかった。1574年、信玄亡き後、息子の勝頼がついにこの城を攻略する。

1575年に、長篠設楽ヶ原の戦いで勝頼に勝利した家康は高天神城の奪還を決意し、1580年に包囲する。衰退した勝頼は援軍を送ることが出来ずに家康に攻め落とされてしまう。

1569年までは、駿河の今川氏の支配下にあったが、桶狭間の戦いで今川義元が討たれたあとは、城主小笠原氏が徳川家康に寝返り、以来家康の勢力下に置かれる。その後も、家康の浜松城を武田氏から守る重要な軍事拠点として活躍する。この時の様子が、勝頼が家臣を見殺しにしたようにうわさが広まったために、部下からの信頼を失った勝頼は織田信長に対して大した抵抗も出来ずにあっけなくうち滅ぼされてしまった。武田氏滅亡の後は、廃城となる。

(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)

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