天守:非現存
城郭の種類:山城
天守構造:5層
築城年:鎌倉時代
築城主:佐保時綱
佐和山は、「治部少(三成)に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめた名城である。
鎌倉時代に佐保氏によって築城されたと考えられる。戦国時代には、北近江の六角氏に取って代わって勢力を拡大させた浅井氏の支城となる。浅井氏の裏切りの後は、信長に攻め込まれるも8ヶ月の間守りぬいた。しかし、城主磯野員昌は降伏し、丹羽長秀が入場する。本能寺の変の後、1590年頃に豊臣秀吉の家臣石田光成が入場する。
関ヶ原の戦いの直後、光成の残兵によって守られていたが、小早川秀秋によって攻め落とされ廃城なる。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)