主祭神:
誉田別尊 (ほむたのすめらみこと:応神天皇)
息長足姫尊 (おきながたらしひめのみこと:神功皇后)
比賣神 (ひめがみ)
創建:131年
主な神事:左義長まつり 3月の中旬の土日 八幡まつり 4月14日と15日
日牟禮は、275年応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に休憩した時、日輪の形を二つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けたことに由来する。
991年に、一条天皇の勅願により、八幡山山頂に宇佐八幡宮を勧請して上の八幡宮を祀り、1005年に麓に下の社を建立した。現在の社殿は下の社にあたる。
1590年には豊臣秀次が、八幡城を築城した為に、上の八幡宮を下の社と合祀した。その後は、近江商人の守護神として崇敬されている。徳川家康も関ヶ原以降参拝し土地を寄進し、彼の子孫家光や家綱も御朱印を残している。
八幡まつり
毎年4月14日と15日に行われる火祭り。起源は275年に、応神天皇が大嶋大神を参詣するため琵琶湖から上陸した際、松明で天皇一行を八幡まで案内したのが始まりと伝えられる。
14日は松明祭とも呼ばれ、各郷から10mもの巨大な松明が大小30本以上、奉火される。15日は太鼓祭りと呼ばれ、各郷から大太鼓の演奏が行われる。
左義長まつり
毎年3月の中旬の土日に行われる火祭り。
織田信長が安土城下で毎年正月に盛大に行ったといわれる祭りで、信長自らが異粧華美な姿で踊ったといわれる。その後、豊臣秀次が、八幡城を築き安土の町民を移住させた。安土の町民は、「八幡まつり」に驚き、これに負けじと対抗して、厄除け・火防の由緒ある御利益を仰ぎ左義長を奉納したのが始まりである。
(参照:オフィシャル情報)