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蒲生氏郷の墓

観光案内

蒲生氏郷の墓(がもううじさとのはか)は、福島県会津にある史跡。興徳寺の境内にある、戦国時代の武将・蒲生氏郷の墓である。氏郷はクリスチャン大名としても知られ、会津若松の城下を作った大名の一人である。若松の名前は氏郷の生まれ故郷より付けられた。また鶴ヶ城の名は彼の幼名より附けられている。

駐車場【無】
トイレ【無】

アクセス
会津若松駅よりバスで神明通り南まで。そこから徒歩。


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周囲の地図情報 蒲生氏郷の墓

詳細案内

蒲生氏郷の墓

蒲生氏郷(1556年~1595年)

蒲生氏郷は、織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国時代の武将の一人。1556年に近江国蒲生で生まれる。信長に臣従した父蒲生賢秀によって人質として信長に差し出される。その時、信長に才能を認められ娘・冬姫と結婚させられる。その後、信長自ら烏帽子親となり岐阜城で元服する。その後、信長の一門として姉川・長篠と主立った合戦に参加し武功を重ねる。

本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、秀吉の配下として活躍、1590年に会津が与えられる。

氏郷は会津の町を大きく造営整備し、鶴ヶ城を築城。彼の故郷から若松と町の名前を付ける。会津の町の礎を作る。1595年に京都伏見で没する。享年40歳。


(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)