天守:模擬天守
城郭の種類:平山城
天守構造:不明
築城年:1592年
築城主:豊臣秀吉
伏見城は豊臣秀吉が、隠居後の居城として1592年に築城した城。秀吉は1594年に入城し、1596年に完成する。その2年後1598年に、秀吉はこの城で没する。
秀吉の死後、豊臣秀頼は伏見城から大坂城に移り、徳川家康が代わりに入城した。1600年関ヶ原の戦いの前哨戦として、西軍の石田三成に攻め込まれる。城代として城を守護していた鳥居元忠は伏見城を死守したが、圧倒的な兵力差があり、まもなく落城し、多くの建物は焼失する。
1602年に家康によって再建されるが、1619年に廃城され、建物は様々な場所に移築されている。その一部は現存し、福山城や二条城で見ることが出来る。
現在は、伏見桃山城運動公園として整備されており、模擬天守が建つ。しかし、外観は史実とは関係無い。閉鎖されていて入る事は出来ない。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)