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備中高松城

観光案内

備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)は、岡山県岡山市にある平城。豊臣秀吉が水攻めを行った事で知られる有名な城である。湿地帯に囲まれた攻略困難な城であった為、黒田如水の意見を取り入れた秀吉の豪快な水攻めに落城した。清水宗治が、船の上で切腹した話が有名で、彼の首塚や辞世の句が刻まれた石碑が建つ。現在は、公園として整備されている。

観光情報
駐車場【有】
トイレ【有】

料金:無料
入場時間:終日

アクセス
備中高松駅より徒歩。


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周囲の地図情報 備中高松城

詳細案内

備中高松城

天守:無し
城郭の種類:平城
天守構造:無し
築城年:不明
築城主:石川氏

高松城の築城は不明である。この地域は石は豊富に取れるが、高松城は石垣を用いていない。周囲を巨大な湿地帯に囲まれた城で、攻城兵器、騎馬、銃が一切使用できない攻略困難な城であった。

1575年、当時中国で勢力を伸ばしていた毛利氏の勢力下に入ると、清水宗治が城主となる。

1582年、織田信長軍、中国方面軍団長の豊臣秀吉(当時羽柴秀吉)が、2万の兵を持ってこの城の攻略を開始する。守る清水宗治は兵士3千。秀吉は2度の大攻勢をかけるが落とすことが出来なかった。

そこで、当時竹中半兵衛に代わって、秀吉の軍師となっていた黒田官兵衛の足守川をせき止めて行う、水攻めの構想を採用する。秀吉はすぐに堤防を築き高松城を囲む一円を水で沈めてしまう。

清水宗治は降伏し、部下の命を救うことと引き換えに切腹を行った。

宗治 辞世の句
「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」

(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)