種類:新撰組縁の地 歴史観光
八木家は、壬生村きっての旧家でかつては壬生郷士の長老を務めていたと伝えられる。八木家の住宅は幕末に新撰組の近藤勇や土方歳三らの宿所となり、旧壬生屯所としても知られている。
建物は、1804年に建てられた長屋門が東に開き、奥に主屋がたつ。式台玄関、奥座敷、庭園などを備えた格式の高い住宅である。柱には、芹沢鴨暗殺時に付けられたと見られる刀傷などが残っている。
新撰組は、1863年に第14代将軍徳川家茂が上洛の際に警護の為に清河八郎に率いられた江戸の浪人234名の内、13名の浪士が京都に残り将軍の警護と京都の治安維持の為に会津藩主松平容保によって雇われた浪士組である。その内訳は、芹沢鴨を筆頭とした水戸脱藩浪士5人と、試衛館館長近藤勇以下7名の剣士からなる。
屋敷の長屋門には、「松平肥後守預新撰組宿」と言う看板が掛けられた。沖田総司や原田左之助などは感動してしみじみ眺めたと伝えられる。
その後、蛮行目立つ芹沢かもの一派は、容保と新撰組の評判を悪くするとして、暗殺される。同年9月18日の夜分遅く、6人の覆面をした近藤らの暗殺者によって芹沢鴨らはこの屋敷で暗殺される。
その後、次第に隊士が増え、付近の屋敷にも分宿しはじめた。
1864年の池田屋事件など、新撰組の活躍した時期に近藤や土方がこの屋敷で指揮を取っていた。1865年に西本願寺に移すまで、ここ八木家は新撰組の屯所であった。