天守:非現存
城郭の種類:平城
天守構造:無し
築城年:鎌倉時代
築城主:大泉氏
鶴ヶ岡城は、庄内藩の藩庁であった平城。土塁が多く、石垣は主要な部分にしか使われていない。東北地方の特徴の城である。
鎌倉時代に、出羽国大泉荘の大泉氏が築城したのが始まり。その後、大泉氏は武藤氏を名乗る。戦国時代、最上氏と上杉氏の間でこの地は覇権を争われ、最終的には上杉景勝によって併呑される。
その後、景勝もまた関ヶ原の戦いの罪で厳封となり、最上義光が加増された。この後、酒井忠勝が入封される。この時に簡素な造りであった鶴ヶ岡城を近世城郭へと大改修に着手した。二の丸、三の丸を拡充し、城下町の整備を行った。庄内藩の本城としての偉容が完成したのは、3代忠義の時であり54年の歳月が費やされた。本丸は一部に石垣が使用されたが大半が土塁であり、幅約20mの水堀に囲まれている。
現在は廃城となり、鶴岡公園として整備されている。本丸のみ遺構を残す。