種類:歴史散策 奥の細道 松尾芭蕉
草加の地は元々強大な湿地帯で、千住と越谷は大きく迂回しないと渡れなかった。1606年に大川図書が先頭に立ち、現在の旧街道筋にあたる低湿地を土、柳の木、葦などの草で埋め固め、見事な日光街道を作り上げる。草加とはこの事に由来する。1630年に日光街道及び奥州街道の日本橋から2番目の宿場町が整備され江戸時代には大いに栄えた。
宿場町には6つの旅籠と84軒の住宅があったとされる。街道沿いには豆腐や塩、油や餅などが販売される店が軒を連ねていた。150年後の1843年には3600人以上が暮らす大きな宿場町へと発展する。この時には、1.3キロの長さに本陣、脇本陣、旅籠67軒の規模にまで成長していた。
(参照:オフィシャル案内現地観光情報等)