刑事部門は、建学の理念「権利自由」にもとづき、刑事関係資料を展示してある。
展示品は、江戸時代の捕者と捕者具、取り調べ(拷問)、刑罰と処刑、近代の処刑、そして世界の処刑の資料が展示してある。
展示物
捕者:戦国時代に敵の武将を生け捕りにする武器が江戸時代には罪人を傷つけずに逮捕する道具として利用されていた。
「突棒」「刺又」「袖搦」「十手」など。十手は身分を表す道具として主に利用されていた。
牢問い:容疑者から自白を得る為に行われた肉体的苦痛のこと。
「笞打」「石抱」「海老責」は、牢問と呼ばれ、最も厳しい「釣責」を拷問と読んでいた。「釣責」には老中の許可が必要であった。展示品では、「石抱」と「釣責」の道具を実物大で再現してある。
懲罰:裁判の後執行された懲罰。
手錠は自宅禁固などで手の自由を奪われる懲罰で比較的刑の軽い懲罰であった。
処刑:主に斬首で行われていた。思い罪人には、処刑の前に「たたき」「鋸挽仕置き」等で晒されてから処刑が行われた。「鋸挽」は、古来の処刑にならぞった晒で、江戸時代は実際に鋸で首を挽かれて処刑されたわけでは無いと考えられる。
獄門台は晒し首をのせる台で首を打ち付ける釘が備えられていた。
最も重い罪人には「磔」で処刑された。磔にされ、槍で何十回も刺されて処刑され、亡骸は3日間晒された。
火あぶりは主に放火犯の処刑方法として行われた。
近代:斬首が絞首刑に処刑方法が変化する。
世界の処刑博物館:「ギロチン」「鉄の処女」が展示してある。
「ギロチン」は18世紀末、フランス革命の頃にギョタンによって提案された処刑方法である(発明者では無い)。ヨーロッパでも処刑は一般的に斬首で行われていた。しかし、剣や斧を使った処刑方法では失敗する事が多かった為に、ギロチンと言う道具がフランスで発明されて採用された。
「鉄の処女」は、想像上の処刑の道具で、実際の使用に突いて確かな証拠は無い。しかし、19世紀のヨーロッパの人々には中世の拷問や残酷な処刑の記憶と知識が生々しく残っており、実際に使用されたと信じられていた。
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