武甕槌神
天児屋根命
伊波比主神
比売神
津軽信政命(弘前藩4代藩主)
津軽為信命(同初代藩主)
吉川神道を信奉した弘前藩四代目藩主・津軽信政は、自らの葬地を高岡と定め、1710年に弘前城で死去した。五代藩主信寿はその遺言に従って、神葬、1711年廟所を翌年には本田などを建立したほか、1721年には門前に屋敷割りを行い、現在の高岡集落の元を作った。
その後、七代藩主信寧が拝殿を、九代藩主寧親が随身門や廟所門を整備した。社殿配置は東西に一直線で鳥居、随身門、拝殿、幣殿が並び廊下を挟んで中門から本殿に至り、更に西方200mに廟所と墓所がある独特の構成となっている。
このように吉川神道の教えに基づいた建築物群で現存するのは他に例がなく、更に江戸時代中期の神社建築の特徴をよく現していることから、国の重要文化財に指定されている。