別名を伊奈川観音又は、橋場観音といい、口伝によると三百余年前須原の位置老父が馬の沓を作り商いをしていた。
ある日、一人の威厳ある馬上の侍が馬の沓を求めたが、折り合い悪く片足分しかなかったので、その旨を伝え、不足分を早速作り後から追いかけて現在の橋場の入口付近で渡した。侍は喜んで代金を渡そうとしたが老父はその侍の尊容に打たれて代金を辞退したところ、傍らにあった木片を取らせて馬上で「馬頭観世音」と書いてわたし、「必ずこれを信仰せよ、ご利益があるであろう」と伝えて立ち去った。
俗にこれをコッパ観音とも云う。老父はそれを家に持ち帰り神棚に安置したところ光明を放ったので、恐れを抱いて橋場の岩出山の岩間に祀ったところ一度慧々と光明を放ったので、惣近郷近在の評判となり礼拝するものが多くなったので、近隣の助力を得て、この木片に観世音菩薩と刻み京都まで出掛けて妙心寺の開眼を受けて持ち帰り、一宇を建立して奉安したところ、信仰する者多く、縁日には遠くからお参りに人が来るようになった。
毎年1月17日は初観音縁日が開かれる。